人生はシンプル「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健を読んだ感想
タイトルに魅かれて借りた本。
私は元々、他人の目を気にしすぎる節がある。そんな私にとって、このタイトルはとても魅力的に感じたのだ。
概要
哲人と否定体な若者の対話形式で、アドラーの心理学を説明する。
アドラーの云う、「人生はシンプルで、嫌われる勇気、幸せになる勇気」について説明している。
印象に残ったこと
この「嫌われる勇気」に記載されているアドラー心理学の主な考え方は以下。
- 他人の課題には介入せず、介入させない(親子ですらも)。できるのは援助のみ。
- 他人がどうとるかは他人の課題であり、あなたが生きているのは他社の期待を満たすためでも、承認してもらい承認欲求を満たすためではない。
- 縦ではなく横の関係をもて
- 原因があり何かが起きるのではなく、目的に合わせて原因を紐付けている
- 困難にぶつかった時はより大きな共同体の声を聞け
- 10人いるなら、1人は必ず攻撃してくる人、2人は全てを受け入れる親友、残り7人はどちらでもない無関心な人
- 他社貢献することを念頭に行動すれば、迷う事はなく、何をしても良い。
他人の課題には介入せず、介入させない(親子ですらも)。できるのは援助のみ。
馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、実際に水を飲むかどうかは馬の意志だ、という考え方に基づいているらしい。
子供に「勉強しなさい」と強く言えば強く言う程、子供は反発する。
だから、勉強するかどうかは子供の意志で、したいと言った時に万全のバックアップできるように準備だけして待つ、という考え方のようだ。
他人がどうとるかは他人の課題であり、あなたが生きているのは他社の期待を満たすためでも、承認してもらい承認欲求を満たすためではない。
アドラー心理学では、承認欲求欲しさに行動することこそ自己中心的であり、アドラー心理学の考え方は自己中心的ではないと主張している。
作中の中で青年も一時は主張していたが、一般的に言われる「自己中心的」な考え方はアドラー心理学の方であるとは私も思う。
中々に面白い考え方だけど。
縦ではなく横の関係をもて
これは結構衝撃的な考え方だった。誰が優れているとか、誰よりは幸せだとか、承認欲求を認めてもらいたいとか、そういった考え方が、「縦」の考え方だと言う。
「縦」つまりは、自他に上下を付けているという事。誰かに「承認してもらう」時点で、誰かが上だと無意識のうちに順位づけしているという事。
そういう人こそ、上司に逆らえないだとか、周りがみんな敵に見えたりだとか、ある日を境に全てが嫌になったりすることもあるのだという。
ちなみにここでの「ある日を境に全てが嫌になる」というのも、アドラー心理学の目的ありきの感情だそうで、「関係を終わらせたいがために、全てが嫌になる」のだと言う。
逆に「横」の考え方というのは、皆仲間だという考え方だという。
考えたこともない考え方だった。
確かに、好きな上司は私と同じ目線に立って物事を話してくれていた。(そもそも10歳も離れているのに同年代だと勘違いされていた節もあるが。)
そしてしばしば「周りがみんな敵に見える」「ある日を境に全てが嫌になる」事を経験したこともある。確かに私は周りの人間に対して「縦」という考え方を強くしているらしい。
そして好きな上司は「横」の接し方をしてくれていたと考えられるようだ。
「上司だろうが何だろうが、お前たちは私の上にはいない、横だ!」という思いでしばし生きてみようと思う。
原因があり何かが起きるのではなく、目的に合わせて原因を紐付けている
これがアドラー心理学の特徴的な考え方の1つだと思う。
過去のトラウマなんて存在しなくて、今の自分のしたくないことをしない理由付けにトラウマを出してきているだけだ、ということだそうだ。
トラウマの塊のような筆者から言わせてもらうと、作中の若者も言っていたが、トラウマを知らない幸せな人間の言い分に過ぎない。
仮に目的付はあったとしても、トラウマが原因で動けない自分も確かに存在する。トラウマが無くても動けない人もいるだろうが、トラウマが無ければ動けた人も多々いるだろう。
困難にぶつかった時はより大きな共同体の声を聞け
アドラー心理学での「共同体」とは、"学校"とか"全国の学生"とか"日本"とか"人間"とか"地球"とか、かなり大きな概念も含まれるのだそう。
学校で困れば、もっと大きな学校の外の共同体に話を聞け、会社で困れば、会社の外の社会全体の共同体の話を聞け、ということだそう。
他社貢献することを念頭に行動すれば、迷う事はなく、何をしても良い。
ここで注意したい「他社貢献」というのは、他社が貢献してもらったと感じる事ではなく、行動した本人が貢献したぞと感じることなら何でも良いという事。
つまりは、自己満足の行動でOKということ。
ここで、筆者の経験を少しご紹介しようと思う。
昔、まだブラック企業で働いていた頃のこと。毎日、深夜に帰宅すると母が「風呂沸かしといたから」と言うのだが、その風呂が決まって石鹸や油や泡が浮いていて(泥沼のように湯船に本当に泡が浮いていた)かなり汚かった。肌の弱い筆者には入ることができず、(そもそも湯船がドロドロという非常識的状態がありえない、、)それを毎日やってくる母は、私に嫌がらせをしているのかと本気で悩んだほどだ。(嫌がらせかと考えたが、悪意が感じられず、本気で良かれと思ってやっていたようだ。)
このような親切の押し売りで迷惑したり、不快な感情を抱いたとしても、それは受け手側の課題(私の問題)であり、行動した側には何ら気にする必要はないのだという。
個人的な見解だが、世界中の人類全てがこの考え方なら平和になりそうだが、1人でもアドラー心理学の考え方をしない人がいた場合、相当ギスギスした世界になりそうだ…。
また、基本的に本書は対話形式で進む。哲人が提唱するアドラーの心理学に対して批判的な青年が、しばしばツッコミを入れながら、アドラーの心理学の考え方を学ぶ。
が、青年は大抵「あなたは間違っています!おかしい!まあ100歩譲って次を話してください」といった調子なので(本当に大半が抽象的に否定するだけで納得もしないのに次に進んでいき、最後だけなぜか突然納得する。。)、議論しているという設定がかなり茶番臭い会話だと感じてしまった。
親しみやすさをこめて対話形式で書いたのだろうが、逆に読みにくかった。。
総括
アドラー心理学というとても特徴的な考え方をする心理学について説明した本。
興味がなくても、こういう考え方をする人がいる、という参考として読むのは有りじゃないかと思う。